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吉永酒造の歴史

初代「亀次郎」~
二代目「利八」

明治38年、初代吉永亀次郎は、無類の焼酎好きが高じて、自ら創業。 
薩摩の地にはめったに降らない雪に掛け、希少なるもの・味を目指して、銘柄を「さつま白雪」と名付けた。 

 

二代目利八は戦前、事業拡大の為朝鮮半島に渡り、韓国大邱(てぐ)でも製造を始める。 
しかし、脳梗塞で半身不随の身となり、兄弟に託して、やむなく帰国。 

やがて開戦、昭和20年の大空襲により、残る片腕も切断する事態となる。 

三代目「喜八郎」~
四代目「俊公」

三代目喜八郎が終戦により戦地から帰還し、家業を引き継ぐ。 
以降、数年に渡り、工場設備など現在に至る基礎を構築し、 昭和28年、法人化して吉永酒造有限会社とする。 
昭和57年、業界の乱立を契機に県内各地で協業化が進み、当社も参画。 

 

しかし、独自の味作りへのこだわりから脱退。 
2年のブランクを経て、すでに入社していた嫡男の俊公と共に製造を再開する。 

四代目「俊公」~
五代目「章一」

平成7年、四代目俊公が代表取締役に就任。 
平成15年、商標登録の関係で、代表銘柄であった「さつま白雪」を変更せざるを得なくなる。 
二代目利八が30代にして半身不随になったにも関わらず、家業を死守し、後世に繋いでくれた不屈の精神に敬意を表し、代表銘柄を「利八(りはち)」に改名。

 

平成21年、四代目俊公が大病を患った事を機に、大阪の某IT企業に勤めていた嫡男の章一が入社し、自らの手でホームページを開設。
翌年11月、俊公は59歳の若さでこの世を去る。

 

章一が26歳にして五代目・杜氏として事業を継承する。

先代に代わって、精力的に、焼酎の無限の可能性を見出すべく、昔ながらの製法を基に商品開発を行いながらも、SNS等で自ら情報発信して今日に至る。

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